雑記

目次


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44. 歴史や美術や科学の特集番組で俳優などの素人を使うのは止めてほしい (2017.12.26)

テレビはそんなに見ない方だが、美術や歴史や科学の特集番組は録画して結構見る。しかし、その際に、俳優を使って、その特集の主題を探求するという形にしている番組が最近やけに多い気がするが、そういうことは止めて欲しい。何のためにそんなことをするのか意味がわからない。はっきり言って邪魔なだけだ。その俳優の顔を大写しにしたり、関連した場所を歩いている様を長々と映して、

「〜をめぐる私の旅が始まった」とか

「その時〜は一体何を考えていたのだろう」とか

「あまりの〜に圧倒された」とか

しゃべらせたりするが、

お前の考えなんかどうでも良いんだよ!

ど素人のありきたりの感想なんか誰が聞きたいんだ?そんな時間があったら専門家の解説をもっと聞かせて欲しいし、テーマに関係する映像やデータをもっと見せて欲しい。その俳優が現地で専門家に説明を受けて「こんな〜があるとは驚きですね」とか「ここまで〜ができるんですね」とか「へ〜〜〜」とか素人丸出しの感想(素人なんだから当然だが)を述べたり、時には格好つけて何か意味ありげなことを言おうとするのだが、どんなに格好つけても只の素人の感想でしかないんだよ!そんなの聞くのは時間の無駄なんだよ!せっかく面白そうなテーマでも、そういう演出をされると一気に見る気がなくなる。ましてやそいつらが小芝居でも始めた日には、即座に見るのを止めてファイルを消す。そもそも、その俳優に払う出演料が余計にかかるではないか。予算の無駄だよ!どうせ予算を使うのなら、出演した研究団体や学者に出演料を十分に払って研究費の助けにしてもらった方が遥かに意義がある。スタジオに素人の芸能人を並べて感想を言わせるのも、同様に実につまらんし時間の無駄だ。ともかく、美術や歴史や科学の特集番組で俳優や芸能人を出す演出は一刻も早く止めて欲しい

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43. 「あと300円で××カードがもう1枚ですが、いかがいたしましょうか?」 (2014.10.30)

先日、MスターDナッツ(伏せ字 :-p)で会計のときに店員から「あと300円のお買い上げで××カード(名前忘れた)をもう1枚差し上げますが、いかがいたしましょうか?」と言われた。しかし、その××カードというのは、300円購入毎に1枚くれるというものだった・・・。

あたりまえやろ! (^^;

あと50円とかならともかく、300円で1枚って、どんな状況でもそやろが!600円なら2枚、30000円なら100枚じゃ!

私は思わず「そんなん当たり前やろが!言う意味あるんかい!」という意味のことをごく丁寧に店員にご説明申し上げました・・・。そして後日。また同じ店に行ったらまだ同じキャンペーンをやっていましたが、なんとまた

「あと300円のお買い上げで××カードをもう1枚差し上げますが、いかがいたしましょうか?」

と言われました。

おのれらは、アホ揃いか!(^^*;

という言葉をぐっと飲み込んで、「いやいや、それを言う意味はありませんよ」という意味のことを、また噛んで含める様にお教え申し上げました。いや、われながら鬱陶しい客だとも思いますが、それにしても、これだけ無意味な台詞を言われたのは久しぶりだわ!

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42. 人はなぜ「サプライズ」をやりたがるか 〜「バカッター」「キラキラネーム」に共通する心理 (2013.10.09)

以前Webで「サプライズプレゼントを企画したが喜んでもらえなかった」という相談があったのを見た。あまり詳しく書くと特定されてしまうので、書きませんが、大まかに言うと、サプライズを仕掛けられた人が、「そういうことをするのなら、あらかじめ教えてくれればちゃんと自分も準備でき、もっと記念になるものになったのに」という不満をもった、というものです。

僕でも同じ感想を持ちますね。どうして世の中の人間はサプライズをやりたがるのですかね。せっかくのイベントを勝手に計画し進められたら、面白く無いと感じるのが普通だと思いますが。少なくとも僕は嫌です。もちろん、世の中にはサプライズを喜ぶ人も居ることは分かりますし、やっていけないとは思いませんが、それにしてもこの例のように逆効果になる可能性も高いし、そもそもイベントの主役に黙って計画し、いきなりやるというのは、基本的には失礼な行為です。もっと言えば、

ほとんどのサプライズは自己満足

になります。だから僕は「どうして人はサプライズをしたがるのだろう」と疑問に思っていました。しかし、最近その理由らしきものに気がつきました。それは

簡単に(安易に)普通と違うイベントができるから

ではないか、ということです。イベントを企画するならば、なにか人と違ったことをやりたいと思うのは自然なことです。しかし、普通の人にはそうそう目新しい企画は思いつけません。そういうとき、サプライズにしてしまえば、簡単に目先の変わったイベントにすることができます。つまり、サプライズは多くの場合、企画力の無い人間の自己満足だということです。

これは最近世間をにぎわしている「バカッター」つまり、迷惑行為をツイッターに流して自滅する連中が後を絶たないことにも共通する心理だと思います。(ツイッターを「バカ発見装置」とは誰が最初に言ったのか知りませんが、言い得て妙です。)バカッターはつまり、

目立ちたい、ウケをとりたいけど、まともな方法で思いつかない(そういう能力が無い)ので、迷惑行為で目立とうとする

ということです。そして「キラキラネーム」(意味の分からない人はググって下さい)も元は同じだと考えています。これも、自分の子にはオリジナリティの高い名前を付けたいのだが、まっとうな名前では思いつかない(教養・国語力が無い)ので、奇をてらった名前で目立とうとする、ということでしょう。※

以上をまとめるとつまり、

「サプライズ」「バカッター」「キラキラネーム」自己顕示欲に能力が追いついていないことを公表していることになる

と思うのです。

※ ここで言う「キラキラネーム」は、周りの人々からはっきり馬鹿にされるぐらい酷い場合のことを言っています。少々変わっている程度ではもちろん問題有りません。それに、「その人の教養が一般人よりも遥かに高く、他の人々にはその名前の良さが理解できない」という場合もごく稀にあるでしょうから、そういうのも関係ありません。

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41. 見る目が無いにもほどがある (2013.02.07)

ウェブのニュースで

公園のダビデ像「下着をはかせて」…町民が苦情(2013年2月5日17時48分 読売新聞)

というのがありました。どこかの町が、公園にミケランジェロの『ダビデ像』のイタリアの彫刻家の作成したレプリカを設置しました。そのレプリカの作家というのは高名な彫刻家(故人)なんだそうで、実際、写真でみる限りですが、良く出来ているようです。しかしそれに対して、

> 住民らから町議に苦情が寄せられ始めた。「子どもが怖がる」「威圧感がある」「もう少しふさわしい場所に移設して」「(ダビデに)下着をはかせて」などの声があるという。

とのことだ。さらに

> 町議が「教育上、ふさわしくない」「『見たくない』『気持ち悪い』という声がある」と訴えた。

ということだ。・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

二の句が継げん。

 

 

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40. このゲームに心理学は関係ない (2012.11.22)

Webで紹介されていたゲームにこういうのがありました。どんなものかまず実際に遊んでみて下さい。

タイトル:絶対に勝てないゲームがやけに面白い(Yahoo! 映像トピックス)

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p5777f901531b4c711213b181ac522ad4

元のURL:

http://www.youtube.com/watch?v=DaWcL3oOd-E

古典的なトリックなんですが、ここで面白いのは「心理学者」が提示した、としてあることです。あたかも心理学的に誘導されているような錯覚をしますが、もちろんこれは心理学なぞは関係無くて、単純な数学です。さらに面白いのはコメントに「勝ってしまった」とか「勝てた」とかいうのが散見されることです。(^^; もちろん

勝てない事は数学的に保証されています。

だから「勝てた」という人はどこかで知らないうちにルール違反をしているはずです。

勝てない事の証明ですが、単純な偶奇性を使っていて、こういう類の証明に慣れている人間にとっては、見た瞬間に分かります。しかしなじみの薄い方々のためにもうちょっとヒントを加えますと、盤面をチェス盤のように白黒に塗って(モニターに色を塗る訳にはいっきませんので、頭の中で塗る)再度挑戦してみて下さい。そうすれば理解できると思います。

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39. 実在したアンピスバエナ (2012.10.03)

学生時代に読んで面白いと思った本の一つに、

澁澤龍彦「東西不思議物語」河出文庫, 1982.

がありました。(アマゾンで調べたらまだ売っていました。)その本は古今東西の怪異譚を集めたもので、ことさらに怪異を強調するでもなく、無理に合理的に説明するでも無く、その距離感が心地よく、いまだに好きな本の一つです。そこに「頭の二つある蛇のこと」という章があります。この場合、頭が二つというのは、八岐大蛇やキングギドラのように分岐しているのでは無く、体の両端に頭がついているという奇妙なものです。実際、江戸時代にそれが捕らえられたという話が「兎園小説」にあり、ヨーロッパでもこの種の両頭蛇の伝説があり、アンピスバエナ (amphisbaena)という名前が付いているそうです。(「アンピ」は「二つの方向」、「バイネイン」が「進む」という意味だそうです。)実際問題として実在性の極めて怪しい話であり、ある種のトカゲの見誤りではないかという説もあるそうです。

しかし、今日ネットを見ていたら、「しっぽにも顔がある世にも奇妙なヘビ」という記事が見つかりました。

http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p695397233a5315cf9473a63f2bcf5315

他にも

どっちに進むの!?前と後ろに頭がある奇妙な蛇が発見される

http://www.sekairo.com/4209.html

という記事も見つかりました。これはまさしくアンピスバエナです!そこには動画もあり、確かに両端に頭のある蛇が動いてます!アンピスバエナは実在したのです!

ただしプリニウスの「博物誌」にあるアンピスバエナの記述では「猛毒がある」と書かれているので、この映像のやつとは別種ですね。(^^

これはむろん奇形で、繁殖力などは無いでしょう。しかしともあれ「兎園小説」の話も作り話では無かったと考えられます。奇形なのでしょうから、猛毒をもつ蛇でもこういうのが生まれる可能性はあるわけです。そうなるともう伝説のアンピスバエナそのものですね。素晴らしい。

関連ウェブページ:

 

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38. 裁判員制度の問題点 (2009.05.21)

裁判員制度が今日から始まったそうだ。当たり前のことだが反対意見はかなり多いようだ。まず誤解の無いように先に明記しておくが、私は国立大学の教員という立場上、命令が来たら(個人的には嫌だが)従わうことになるだろう。しかし言論の自由に基づいて意見は言わせていただく。

この制度を導入する利点も当然あるのだろうが、私は世間であまり議論されていないが非常に重大な問題点をはらんでいると思うので、ここで指摘しておきたい。それは、

裁判員制度は強制労働である

という点だ。「強制労働」についての法的な定義は知らないので、法律用語としては表現が適切でないのかもしれないが、とにかく「お上から命令が来て、来たら自分の意思に関係なくしばらく拘束されてその仕事に従事しなければならない」というのは、普通に見れば立派な強制労働だろう。こういう強制労働に類する制度は戦後の日本には無かったと思う。まるで徴兵制ではないか。ここで「徴兵制導入の準備をしているのでは無いか」などと飛躍するつもりは無いが、そういう嫌みを言いたくなるほど違和感の有る制度だ。「私はこんな仕事はしたく無い」というのはしごくもっともな主張で、そういう個人の意思を無視しての強制労働をしてまで導入しなければならない制度なのだろうか?「人を裁くことの難しさ」とか、「残酷な画像を見せられたショックに対する心理的ケア」とかの方に議論が行ってしまっているような気がするが、そんなことより「強制労働を導入した」ということの重大性をもっと議論するべきだと思う。

 

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37. 羽生時代の終焉? (2008.12.19)

将棋の第21期竜王戦で、渡辺明竜王は羽生善治名人(四冠)の挑戦を退け、5連覇(注1)で初代の永世竜王の権利を得た。今回は、勝った方が永世竜王の権利が取れるという、新旧2世代の旗頭同士による初代永世竜王争奪戦という意味もあって、たいへん注目を浴びた。私は「今回は羽生が勝つだろう」と思っていた。その理由は、「ここで負けるようならば、羽生はもう渡辺に勝てなくなるから」である。実際、開幕から羽生は3連勝し、もう勝負有ったと世間に思わせた。しかし渡辺は第4戦では開き直り、打ち歩詰めを利用して逃れるという絶妙の終盤術で、カド番かつ後手番である戦いを逆転で物にした。そして、5戦、6戦と連勝し、3勝3敗の五分にして、「最終の第7戦で勝った方が永世竜王」という、最高の盛り上がりになった。

その一番は、渡辺は後手番を引いた(注2)が、後手番で勝った直前の第6戦と同じ形に導くという不敵な戦法に出た。普通負けた方(この場合は羽生)は、敗因を分析して研究してくるので、勝った方(この場合は渡辺)が同じ手順に進めても勝てる保証は無く、それどころか逆に敵の研究にはまって、大敗する危険もある。少なくとも相手に対して警戒心が高ければ、そんなことはできない。しかし、渡辺は「あなたの研究など怖くは有りませんよ。なんでもやって下さい。何度やっても勝てますよ」と言わんばかりに堂々と前局の手順通りに進めた。途中で手を変えたのは羽生だった。結局、将棋界初の3連敗後の4連勝というおまけまでついて、渡辺が羽生を堂々と押しきった。この負けは羽生にとって痛すぎる。こんな負け方をしてしまったら、羽生はもう渡辺に勝てる気がしなくなってしまうのではないだろうか。

似た状況として、大名人大山康晴(当時48〜9歳)が第31期名人戦で中原誠十段(当時24〜5歳)の挑戦を受けたときがあった。大山は3勝2敗と中原を追いつめたが、開き直った中原が、居飛車党であるにも関わらず、大山得意の振り飛車をカド番の第6戦、7戦と連続投入して、何故か逆転勝ちして名人位についた。大山はその後も頑張って、数年間、中原との激闘を続け、タイトルも頻繁にとった。しかし、名人戦等、大事な所では中原に勝てることは無かった。谷川浩司(17世名人資格保持者)も羽生に7冠を独占された後にも頑張って、名人・竜王を含め何度か羽生からタイトルを奪った。しかし、覇者が交代していたことははっきりしていた。

「29. 羽生善治の失敗」において、「羽生世代の時代の終焉は意外とすぐそばまで来ているのかもしれない。」と書いたが、もうそれが実現してきた。もちろん羽生世代はまだ30代と若いこともあり、少なくとも今後数年間は頑張るだろう。渡辺もまだ肝心の名人位はとっていないし、今後苦境に陥ることも何度かあるだろう。しかし10年後には「第21期竜王戦が羽生時代の終わりを告げた」と書かれることになるだろうという気がする。

注1:永世竜王は5連覇か通算7期で獲得。

注2:第1戦〜第6戦は最初に振り駒で前後を決めたらそのまま交互に先後を入れ替えるが、最終戦だけは、再度振り駒を行う。

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36. 焼き八つ橋 (2008.09.22)

先日京都駅構内を通行しているときに、「焼き八つ橋」という表示を見ました。面白いと思いましたね。そもそも八つ橋というお菓子は、焼いてあるものです。しかしその生地を焼かずに餡をくるんだものが「生八つ橋」として売り出されて、とても美味しいので(私も生八つ橋の方が好きです)、元祖の八つ橋よりも生八つ橋の方が圧倒的にメジャーになってしまって、今では「八つ橋」というと「生八つ橋」を想起する人が多数派になってしまったのでしょう。ですから、元祖の八つ橋は逆に「焼き八つ橋」と断る必要が出てきたという訳ですね。面白い現象です。

ーーー絶望した!元祖が肩身の狭い思いをする「焼き八つ橋現象」に絶望した!ーーー :-p

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35. 宇宙人は地球に来ていない(残念ながら) (2007.12.20)

町村官房長官が、地球外知的生命体が既に地球に来て色々活動しているということは絶対にある、という意味の発言をした。一応彼の発言を引用しておく。

−−先日民主党の参院議員から未確認飛行物体(UFO)に関する質問主意書が出され、本日、政府としては存在の確認していないなどとする内容の答弁書が出されたが、この質問の内容や答弁書の内容について長官の考えは

「うーん、まあ、あのー、政府のそれは公式答弁としてはですね、UFOの存在は確認していない。だから、対策なども特段検討していないという極めて紋切り型の答弁しかないだろうと思いますけれども、あのー、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っておりまして。個人的な、個人的な意見でありまして、政府答弁は政府答弁であります。そうじゃないと、いろんなところにあるね、ナスカ(の地上絵)のああいう、説明できないでしょ。と、思っているんですけれどもね。ま、ちょっと、これ以上広げないようにします。どうも。毎回、こういうご質問をお願いいたします」

(引用元:Yahoo ニュース「町村官房長官『UFO絶対いると思う』」 [12月18日19時17分配信産経新聞]

URL: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071218-00000970-san-pol)

「UFO」という言葉の使い方の間違いについてはこのコラムの「9. 「UFOを信じますか?」という質問」で書いたので、それには触れないことにするが、この発言は一国の官房長官のものとしては情けな過ぎる

個人的にどう思おうと勝手だが、その理由がナスカの地上絵とは呆れる。あれを宇宙人を持ち出さなければ説明をつけられないとは、知性の無さと勉強不足を同時に公表しているようなものだ。あの地上絵の作成法はとうに説明が付いているし、第一、宇宙人など持ち出す必要は全くない(逆に、宇宙人のせい、とすると矛盾が多い)。子供じゃああるまいし、一国の官房長官がこれでは悲しいぞ。政治家の発言は影響力が大きいので、もっと考えて発言してもらいたいものだ。まあ、もしかしたら、「政治家の知性には誰も期待していないので影響はほとんど無い」ということなのかもしれないが。

この手の議論で多いのが、「宇宙は広いので、地球以外に知的生命体が居ないと考えるのは、変だし、思い上がりだ」というものだ。この意見はその通りだと思う。私も、広い宇宙には人間並あるいはそれ以上に知的な生命体(「宇宙人」と言うことにしよう)がきっと居ると思っている。

しかし、宇宙人がいることとそれが地球に来ていることとは全く次元が違う。そういった知的生命体が光速に近い早さで移動できるような乗り物があるとは思えないので、もし居たとしても地球にやって来ることはほとんど不可能だ。通信ならば、光速でできるので、地球外からの知的生命体が発した信号を受信しようとする試みは実際にされているし、こちらから発信もしている。(このプロジェクトには私も興味が有る。もし宇宙人と交信することができたならば、と想像すると心高ぶる。)しかし、乗り物となると話は別だ。

もちろん我々の知らない科学技術があって、例えばワープ航法とかボソンジャンプ(笑)のようなもので、光速の壁を超えてやって来られる可能性は、途轍も無く低いが、全くないというわけでは無い。しかし、仮にそういう技法があり得るとしても、その開発には、我々を遥かに凌駕した知性が必要だろうから、いくらなんでもそこまで知性が発達した生命体が居るという可能性は大変低いと思う。そして、さらに、そのレベルにまで到達している生命体が居て、ワープ航法のようなものを開発している、とまで仮定しても、その連中が広い宇宙の中から、わざわざ地球を選んで来ている、という可能性はさらに低い(そんな凄い知的水準の生命体が居るならば、人類程度の知的生命体はゴロゴロいる筈だ)。従って、宇宙人が居る可能性は十分あるが、それが地球にまで来ている可能性は極めて低いのである。

また別に「来ているという証拠・証言は沢山ある」という意見も聞くが、どれもきちんと調べてみるといい加減なものや、こじつけ、嘘などで、これまで本当に宇宙人飛来の証拠とできるほどのものは無い。何故「無い」と断言できるのかというと、

もしそんな証拠が本当にあったら、科学者が放っておかない

からである。世間では、科学者は頭が固いというイメージが何故かあるが、まったく逆で、くの科学者は、世間の常識をひっくり返すような発見をして名前を轟かせてやろう、と虎視眈々と狙っているのである。だから、宇宙人が来ていることの信憑性のある証拠があれば、多くの科学者が群がって我先に研究するに決まっている。それともう一つ、

もし本当に宇宙人が地球に来ているのならば、「地面に絵を書いたり」「牛の血を抜いたり」「名も無い一般市民に平和や環境保護を説いたり」するよりも、もっとするべきことがあるだろうに

と思いませんか。もしあなたが他の知的生命体がいる星に行ったとしたら、そんなことをして帰ってくるだろうか?そう考えると、

地球外知的生命体は(広い宇宙のどこかには居るのかもしれないが)、残念ながら、まだ地球には来ていない

と考えるのが当然のことだろう。

(ここで、誤解の無いように言葉を付け加えておく。基本的に、個人がどう思うおうと勝手だし、反社会的なことで無い限り、それを公表するのも自由である。しかし、政治家が語る内容は影響力が大きく、しかもあれは、非公式の場の放言などでは無く、記者の質問に対する答であるので、とうてい「個人の勝手」では済まされない。だからあえて名前を特定して批判的な文章を書いた。仮に、同じ意見が、一般市民のブログなどにあったとしたら、わざわざそれをあげつらって批判するべきでは無いと思う。もう一度強調しておくが、「宇宙人が地球に来ている」と考えることも、それを表明することも基本的には、個人の自由である。ただ、あまり幼稚な理由でそれを公表すると恥をかくことになるが(笑)。)

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34. 落合監督の非凡さ (2007.10.03)

日本シリーズは中日が4勝1敗で日本ハムを下して日本一になったが、その最終戦で、8回まで完全試合を演じていた投手山井を最終回は押えの切り札岩瀬に交代させたことが世間に波紋を呼んでいる。賛否別れているようだか、反対意見の多くは、日本シリーズでの完全試合が達成されるかもという期待を裏切られたというものに基づくものであり、その気持ちは理解できるし、観客の期待に応えるのもプロだという意見も一般論としては正しい。賛成意見の多くは、これが今年の落合野球であり、これを守り通したからこそ日本一になれたのだ、というもので、これもその通りであろうし、責任の無い外野があれこれ言うのは無責任である、という意見も間違っていない。

しかし散見する意見で全く見落とされている視点がある様に思われる。それは

あそこで交代させる方が、させないよりも遥かに勇気有る決断であった

ということである。仮に交代させずに山井に投げ続けさせたとしよう。もし上手くいって完全試合を達成したら、もちろん大成功だが、そこでもし山井が打たれて逆転負けということになったとしても、その続投を攻める人はあまりいないだろう。危険があっても「日本シリーズでの完全試合」という可能性にかけて続投させるのは、人情だし、普通の人間の判断はそうだろう。しかし落合監督は交代させた。これで岩瀬が押さえたから良かったが(それでも批判はされているが)、もしそこで岩瀬が打たれて逆転負けでもしようものなら、世間の大顰蹙を買い、選手の信用も失い、下手をすれば監督解任ものであっただろう。つまり、交代させなければ、どちらへ転んでも自分の身は安全だが、交代させれば、一つ間違うと大変なことになるところだったのである。

しかし、落合監督は、両投手の力量と調子、試合の状況などを考え、交代させるべきと判断して交代させたのだ。なんという判断力。なんという勇気。私は落合は選手のころから凄い男だとは思っていたし、監督としての能力も一流であると思っていたが、今回の判断で、ほとほと感心した。これほどのことができる人間はそう居まい。この交代を批判した意見の中で、落合の行動を「小心」と評した者がいるそうだが、まるっきり見当違いの発言と言わざる得ない。逆にその行動こそ、勇気無くしてはできない行動だったと思う。

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33. エレベータは何故反対方向ばかり来るか (2007.08.08)

エレベータの話題が出た(32. 戸無しエレベータ)ので、もう少し。エレベータについては、普段不便に感じていることがいくつかあると思います。私が昔から思っているのは

  1. 数台あっても、全部同じ階あたりを同じ方向に進んでいることがよくある。(だから、数台ある有り難みが少ない。)
  2. 最初に来るエレベータはいつも行きたい方向と逆方向である。

の2点です。マーフィーの法則みたいですが、実はこれらは理論的にも説明がつきます。

まず1の「エレベータすべてがいつも固まっている」件ですが、これは「バスが等間隔で来ずに固まって来やすい」というのと同じ現象です。バス停でバスを待っていると、目的のバスがなかなか来ず、随分遅れて到着し、やれやれと思っていると、その後ろに同じバスが続けて来ていて、「馬鹿にしてやがる」と思った経験は誰しもあるでしょう。これは先のエレベータが固まるのと同じ現象と考えられます。わかりやすいので、バスの例で説明します。これは

バスが一旦遅れると、その遅れが大きくなる傾向が有る

と言い換えることができます。その理由はこうです。

  1. バスがなんらかの理由で一旦遅れだす。
  2. 前のバスが行ってしまってからそのバスがバス停に着くまでの間隔が広くなる。
  3. その結果、バス停で待っている人が多くなる。
  4. そのバスの利用者が増える。
  5. 乗り降りの時間を余計にとられて、さらに遅れる。

ということです。このことは明治から大正時代の物理学者兼文筆家の寺田寅彦が既に説明しています。(すみません、文献名は忘れました。文庫本に収録されていると思います。)1の「エレベータすべてがいつも固まっている」という件は、これと同じ現象として説明がつきます。

次に2の「最初に来るエレベータはいつも逆方向」ですが、どのエレベータも登れば降りなければならないので、平均的に見れば均等確率にならねばならないと、直感的には思えますが、これも実は説明がつきます。

例えば、地下2階〜地上10階のデパートがあるとして、あなたが1階から10階の食堂へ行こうとしてエレベータを待っているとします。簡単のために1台しかエレベータが無いとすると、「そのエレベータがどちらから来るのか」は「あなたがエレベータの前に来た時にエレベータが1階より下にあるのか、上にあるのか」で決まります。エレベータが下にあれば、それが来る時には上向きですし、上にあれば下向きで来ます。地下は2階しか無く、2階以上には9階もありますので、当然、上にある確率が高いので、この場合、下向きが最初に来る確率が断然高いのです。

この考察は、エレベータの台数が増えれば、一応変わって来ます。もしエレベータの存在する場所がランダムならば、台数が増えれば増える程、上行きと下行きの確率は半々に近付いていきます(自分の居る階より離れている階にいるエレーベータの挙動は関係無くなることから、理解できると思います)。多くのデパートでは少なくとも2〜3台、多ければ数台のエレベータが並んであるのですが、しかし、残念ながら、1の「エレベータすべてがいつも固まっている」という現象があるために、その沢山エレベータがあることが、あまり役にたっていない(つまり、1台しか無い場合と振るまいがほとんど同じになる)のです。

この話の前提として、「1階から10階の食堂へ行こうとしてエレベータを待っている」ということにしましたが、実際に我々がエレベータを利用するときには、こういう場合が多いのではないでしょうか。デパートやホテルに到達すると、大概、1階や地階といった下層に着き、そこから上へ行こうとする、という場合が大半でしょう。逆に帰るときにも、上層の食堂街や書店、CDショップなどから下層に下りようとすることが多いのではありませんか?ですから、多くの場合、最初に来るエレベータは逆向きになるのです。

なお、ここの考察については、文献はほとんど引用してませんが、過去に読んだものを参考にしています(具体的に覚えていないので、引用しようがありません。すみません、いい加減で)。前半(1)は前述のように寺田寅彦を始めとし、多くの人が指摘してますし、後半(2)の「下層では下向き、上層では上向きが来やすい」という部分も多くの書き物で指摘されています。例えば[1]の36〜39ページの「エレベータの怪」でも、その指摘があり、エレベータの台数が増えた場合のことも書いてあります。ただし、そこでは「エレベータすべてがいつも固まっている」という現象を見落としていて、エレベータの配置がランダムであるという前提なので、「エレベータが増えれば確率が1/2に近くなる」という結論となっています。しかし、ここで書いたように、「何台あっても、最初に来るのは逆向きであることが多い」ということになると思います。

(2009.07.30 追記:参考文献[2]を追加しました。この問題については[1]と同じことしか書いてません。ただし、解析が少し詳しく(かつ分かりやすく)書いて有ります。)

参考文献

[1] マーチン・ガードナー(竹内郁雄 訳), aha! Gotcha---ゆかいなパラドックス 2, 株式会社 日系サイエンス, 1982.

[2] Martin Gardner, Elevators (Knotted Doughnuts and Other Mathematical Entertainments, W. H. Freeman and Company, New York, 1986, Chapter 10).

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32. 戸無しエレベータ (2007.07.18)

国際会議でポーランドへ行ってきましたが、滞在したホテルで驚いたことがありました。エレベータの戸というものは一般に、外側の戸と内側の戸の二重構造になっています。外側の戸は各階に固定されていて、内側の戸がエレベータの箱に付いています。しかし、そこのホテルのエレベータには内側の戸が無かったのです。ですから、エレベータに乗っていると、動いている時、ポッカリと空いた入り口の外で壁がぐんぐん動いていくことになります。触ろうと思えばもちろん触れます。いや、これは危ないと思いましたね。欧州では、古いエレベータには粗い網状の戸しかついていないことは、特に古いアパートメントなどでたまにあります。しかし、内側の戸が全く無いというのは初めて見ました。日本では、多分法律的に許されないだろうと思います。(^^;

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31. 永世名人、何十五期の法則 (2007.07.05)

将棋の森内俊之名人が郷田真隆九段の挑戦を退け、通算五期名人獲得で、永世名人の資格を得た(実際に名乗るのは引退後)。実力名人位制になってから今期まで65期続いたが、永世名人は五人しかいない。しかし面白いことに、その全員が「何十五期」で永世名人の資格を得ている。

なんたる偶然。これが続くとなると次の永世名人は早くとも10年後ということになるが(笑)、そのとき羽生は40代半ばであり年齢的に苦しいので、19世名人は渡辺明かもしれない。羽生、危うし!

※追記:中原誠は2007年11月17日より現役のまま「十六世名人」を名乗ることになりました。

※追記:66期(2008年)名人戦で羽生が森内を破り永世名人の資格を得ました。ここに「永世名人、何十五期の法則」は破れました。(^^)

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30. 「算法少女」の水野三之介は何を間違えたか (2007.01.16)

話題の本、遠藤寛子著の小説「算法少女」を読んでみました。舞台は江戸時代。主人公の あき は町娘ですが算法家の父に似て算法好きで優秀な少女です。彼女が浅草の観音様で若手算法家の水野三之介の掲げた算額に間違いを見つけたことから物語が始まります。その算額の問題は以下の様なものです(言葉は現代風に直してあります)。

図1 算額の問題図

図1の様に半円(大円)に直角三角形が内接している。その直角三角形に内接している小円と、直角三角形と大円の間にある最大の小円の大きさが等しいとき、小円の半径と大円の半径の関係を求めよ。

この問題に対し、水野三之介は「小円の半径を4寸としたとき大円の半径は1尺2寸である」という答を書いていました。しかし以前に同じ問題を解いたことのある あき は、その答が誤りで正しくは「1尺3寸」であることを知っていて、思わずそれをつぶやき、それを聞き咎めた三之介一行と もめ事になるのです。

まずは正解の導き方を書いておきましょう。もちろん小説内に解法は書いてありませんので自分で推測するしかありません。和算のやり方を知らないので、現代数学の初等幾何を使って解くことにしますが、本質的には同じでしょう。以下の解答では、定理と呼べるものはピタゴラスの定理ぐらいしか使っておらず、中学校の数学の範囲で理解できます。

解答

小円の半径を1としたときの大円の半径rを求めれば良い。まず図2の様に補助線と記号を付しておく。

図2 問題図

△AEOと△AFGの相似性から、x:y=2x-1:z+1、すなわち

(z+1)x=(2x-1)y

である。次に△AEOと△PHGの相似性より、x:r=1:z、すなわち

z=r/x

である。この2式よりzを消去して

r+x=(2x-1)y .......................... (1)

を得る。またOC長はr=y+2なので、

y=r-2 ....................................... (2)

となる。ここでy>0であることから、

r>2 ............................................. (3)

でなければならない。(1)と(2)よりyを消去すると

r+x=(2x-1)(r-2)

となり、これをxについて解き

.............. (4)

を得る。△AEOにピタゴラスの定理を適用して

これに(2),(4)を代入し

............... (5)

を得る。本式を変型し

を得る。ここでr-1=sとおくと、

...................... (6)

となる。(3)よりr≠1、すなわちs≠0なので、両辺をsで割ることができ、

を得る。本式は二次方程式

なので、それを解いてs=1または9/4となる。すなわち

r=s+1=2または13/4

である。しかし(3)よりr≠2なので

r=13/4

となる。(解答終わり)

この問題の面白いところは、この小円の半径と大円の半径の関係は普通に導くと4次方程式の関係になってしまって容易に解くことができませんが、(5)式で両辺からr^2を引くことができ1次減少し、さらに(6)でs=0を除くことでもう1次減らし、最終的に2次方程式にしてしまえる所でしょう。なかなか面白い問題です。というか、こんな綺麗な比率になるとはビックリです。

さて、私がこの部分を読んだ時に気になったのは

水野三之介はどこを間違えたのだろう

ということです。彼は上記の書き方で言うならばr=3という解を得ていました。算額に掲げようとするぐらいだから、出鱈目な解法では無く、一見正しそうに見える、というか正解とほとんど同じでちょっとだけ間違えたものだったのでしょう。色々考えてみて、ピッタリな間違え方は思い付きませんでしたが、一つだけありそうな間違い方を思い付きました。

それは、上記解答の(6)式の第一項の2乗をうっかり書き落としてしまうことです。そうすると式は

の様になり、これを解いていけばs=2、すなわちr=3を得ます。あまり面白い間違え方ではありませんが、結構やりそうな気がします。

次に思ったのは、

あき はどうやって三之介に間違いを納得させたのか

ということです。算額にあまり細かい式の変型が書いてあるとは思えませんので、上記のような「途中で2乗を落とした」などという部分は省略してある可能性が高いので、それを指摘するのは難しい。それに武士が町娘の指摘に対してあんな公衆の面前で引き下がるのだから、ぐうの音も出ない程の説得力のある指摘だったに違いありません。

それで考えたのですが、(4)式(ピタゴラスの定理に放り込む変数の部分なので、この式は明示してあった可能性が高い)を使ったらうまくいくのでは無いかということです。以下、あきと三之介の会話(想像)です(なお、用語は現代のものを使っています)。

三「ふふん、13/4になっただと、戯けたことを申すな、その方の田舎算法の計算が間違っておるのだ。」

あき「しかしお武家様、大円の半径が3だとすると、あそこの式((4)式のこと)からx=4になり、大円の半径より長くなってしまいます。直角三角形の斜辺より他の辺が長いのはおかしゅうございます。」

三「何?・・・うっ・・・確かに・・・・」

こんな感じだったのではないでしょうか。(^^

しかし、三之介の算額の最大の謎はそんなことでは無くて以下のことです。

彼はなぜ小円の半径を4寸と置いたのか?

彼の答によると大円の半径は1尺2寸、つまり小円と大円の半径の比は1:3なので、普通ならば小円の半径を1寸(または尺)で大円の半径を3寸(または尺)としたくなるのでは無いでしょうか?それなのに4寸とするなんて、まるで あき の示した正解の大円の半径1尺3寸を予想しているようではありませんか?変だと思いませんか?(^^

まあ小説なので、後の説明が簡単になる様にそうしただけだと思いますが、ここにリアリティのある説明をあえて付すとしたら、こんな説明が思い付きます。三之介の見た何かの書物に、解答抜きでその問題があって、そこには「小円の半径が4寸」と与えられていて「大円の半径を求めよ」という形になっていたのをそのまま引き写したのかもしれません。しかしそうだとすると、三之介は算額に問題の原典を書くべきであって、多分それをせずに自分の作った問題であるかの様に書いていたことになり、彼の学者としての倫理観にも問題があることにもなりますね。(^^

とまあ色々考えました。この様に小説としての本来の楽しみ以外にも楽しめた本でした。

-> 2012年9月27日 追記:

本コラムを元に 秋月めぐる 著, 遠藤寛子 原作「算法少女1」(リイド社, 2012年9月27日発行)の書下し特別マンガ「三之介の算額の解法とは?」が作成されました。

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29. 羽生善治の失敗 (2006.12.22)

将棋の渡辺明竜王が佐藤康光棋聖の挑戦を退けて竜王位3連覇を成し遂げた。わずか22才の若さでこの実績は驚異的としか言い様が無い。将棋界としては新しいヒーローの登場はたいへん好ましいことだろうが、羽生世代としては若い世代の台頭は脅威だろう。この結果はもちろん渡辺竜王の実力に因るところが一番なのだろうが、しかし彼をここまで調子に乗らせてしまった責任者は他ならぬ羽生だと思っている。

2003年の第51期王座戦で、渡辺(当事は五段)は初めてのタイトル戦に登場し、羽生王座に挑戦した。当事はまだ渡辺の評価はさほど高く無く、もちろん史上4人目の中学生プロ棋士となったその才能は皆が認めていたものの、羽生への挑戦はまだ時期尚早と多くの将棋ファンが思っていた筈である。しかし蓋を開けてみると渡辺が第2、3戦と連勝し、先に羽生を追い詰めた(5番勝負なので3勝した方がタイトルを取れる)。結局その後、羽生が連勝しなんとか防衛したが、その最終局で、終盤、羽生の指し手が震えたのは有名な話で、渡辺は「羽生を震えさせた男」として世間の評価を高めた。

この王座戦でフルセットに持ち込んだこと、そして何よりも最終局で羽生の震えたことが、大いに渡辺の気分を良くしたのは間違い無い。「自分は恐れられている、十分トップに通用する」と思ったに違い無い。もちろんそう思ったからといって簡単に結果は出せないのが普通で、そこが彼の天才たるゆえんなのだろうが、とにかく翌年の竜王戦の挑戦者になると当事の森内竜王(名人)からフルセットで竜王位を奪取し、そのまま今回まで防衛している。もしあの時に羽生が震えさえしなかったら、こんなに早く渡辺が羽生らと比肩する位置にまで来ることは無かったのでは無いかと思う。

それと対照的なものとして、加藤一二三(ひふみ)九段と大山康晴15世名人の関係が思い浮かぶ。加藤は中学生プロ棋士の元祖であり、そのプロ棋士になった年齢の最年少記録はいまだに破られていない(二位が谷川、三位が羽生、四位が渡辺で、ここまでが中学生プロ棋士)。加藤こそ天才中の天才であったと思う。14才で四段(将棋のプロは四段から)になった後、毎年昇段してわずか18才で八段になり名人挑戦者リーグであるA級(つまりベスト10)に入った。この記録も空前絶後である。さらにリーグ2年目、20才で名人挑戦者になった。この若年記録もいまだに破られていない。その天才ぶりに世間は「神武以来の天才」と賞賛した。その挑戦を受けて立ったのが、前年に宿命のライバル升田幸三を破って名人に返り咲いたばかりの大山康晴であった。世間も若い天才に大いに期待したと思う。しかしその名人戦は大山が4勝1敗と、加藤を問題にせず退けた。加藤はそれ以後失速し、結局名人になったのは最初の挑戦から22年後、大山時代が過ぎ去って中原誠時代になって随分たってからであり、しかもそれも1年で手放した(奪ったのは谷川である)。

加藤以降の3名の中学生プロ棋士の活躍振りと比べると、加藤の不振が目立つ。彼が途中何度か降級を経験しているものの、結局62才までほとんど常にA級に居続けたことを考えると、その天才はやはり本物であった筈だ(中原誠でも52才で降級し、結局戻れなかった)。つまり、加藤は大山によってその才能を叩き潰されたのだ。この結果が将棋界に良かったのか悪かったのかは良く分からない。しかしはっきり言えるのは、大山はより若い天才の才能を叩き潰し続けることによって、その空前絶後の長期天下を保ったのだ。

それに引き換え羽生はどうだ。その才能は大山に匹敵するものがありながら、彼は次代の天才渡辺の目の前で震えるという大失策を犯し、その結果、彼を調子づかせてしまった。もう渡辺の勢いは止まるまい。

羽生の将棋の才能は歴代十指に入るのかもしれないが、勝負術という意味においては、大山の足下にも及ばない。これは森内や佐藤といった羽生世代の強豪連にも共通していると思う(これまでは、谷川がさらに勝負弱かったので、それが目立たなかった)。渡辺は、もしかしたら大山的な図太さを持っている様な気がする。羽生世代の時代の終焉は意外とすぐそばまで来ているのかもしれない。

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28. 英米の三並べ(続き) (2006.10.03)

14. 英米の三並べ」の項目で英米では三並べのときに「先手が×で後手が○を書く」ようだと書きました。この件について、その後、何人かの英米人およびその他の外国人に聞いたところ、正しくは

英米を含む多くの国では、先手と後手で記号が決まっていることは無く、先手が○を使うことも×を使うことも両方ある

ということであることが判明しました。ある人の意見によると、記号はどちらかというと「人によって決まっている」すなわち、例えば一旦○側をもった人は先後入れ替えても○を使い続ける、という傾向があるということです。

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27. キングス・クロス駅 9と3/4番線 (2006.09.16)

ハリー・ポッターでホグワーツ魔法学校行きの汽車はロンドンのキングス・クロス駅の9と3/4番線から出るということになっていますが、実際、キングス・クロス駅には9と3/4番線が作ってあります(図1)。見てきましたが、名前から言って9番線と10番線の間かと思いきや、8番線と9番線の間の9番線寄りの位置でした。この位置ならば「8と3/4番線」となるべきでしょうね(^^。9番線と10番線は少し近代的なホームでしかも間に壁が無いので、作りたくても作れませんが。

図1 キングス・クロス駅の9と3/4番線

写真を見れば気付くと思いますが、「カートが半分突っ込んだまま」になってました(^^。これはガイドブックの写真には無かったので最近ついたのでしょう。近くで見ると、ネジで留めてありました(図2)。

図2 突っ込んだカート

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26. 四人乗りの買い物カート (2006.09.09)

ウォーリック大学(イギリス、コベントリー)の近所に有るTESCOというスーパーマーケットで、子供が四人乗れる買い物カートを見つけました(図1)。プラスチックの椅子が3つあり、さらに写真手前の椅子の横の金属製のカゴの部分には、足を出す穴も安全ベルトもついており、座れるようになってますので、合計4人乗れる訳です。二人乗りというのは見たことがありますが、4人乗りは凄いですね。需要があるのでしょうか?(^^;

図1 四人乗りの買い物カート

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25. クリームティー (2006.09.03)

イギリスの(特にイングランド中南部の)ティールームにはたいがい「クリームティー (cream tea)」というメニューがあります。例えばミルクティーは紅茶にミルクを入れたもの※ですので、クリームティーはクリームを入れた紅茶かと思えますが、そうではありません。紅茶とスコーンのセットです(図1)。

図1 クリームティー

スコーンにはクロテッド・クリーム (clotted cream) とジャムを付けて食べます。(だから「クリーム」とはクロテッド・クリームのことなんでしょうね。つまり主役はスコーンでは無くクロテッド・クリームの方ということになります。)これがスコーンによく合います。

アフタヌーンティーは重すぎますが、これならばちょっと小腹が空いたときに向いてます。注文すると紅茶かコーヒーか聞かれるときもあります。こうなると、どこがクリーム「ティー」かと思いますね。(^^;(しかし日本でも「チャーしばけへん?」と言って、コーヒーを飲んだりしますが。:-p)

後ろの3つのポットは左から紅茶、ミルク、お湯です。お湯は、時間が立って濃くなった紅茶に入れて適切な濃度にして飲むためののもので、いくらでもお代わりをくれます。イギリスで紅茶を頼むと、たいていの所でこのお湯のポットはついてきます。(簡単な店ではたまにティーバッグをカップに入れてお湯をそそいだだけのものが出されることがありますが、この場合でもお湯の追加を頼めば入れてくれます。)

日本の喫茶店でもクリームティーを出すようにすると結構売れるのではないでしょうか。

※:なお、イギリス(というか英語)ではミルクティーのことは``tea with milk''と言わないと通じません。「ミルクティー」は多分和製英語だと思います。

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24. フットパス (2006.09.02)

イギリスは実に自然が豊富であることに感心します。量の問題と言うよりも、それらが気持ちよく管理されているところが日本に比べて断然見事です。例えば公共の自然歩道であるパブリック・フットパス(public footpath)というものがあちこちにあります。野原(主に麦畑)の脇を抜ける徒歩専用の小道が、あちこちにあり、延々と続いています。現在滞在中のウォーリック大学(The University of Warwick)の近辺にもとても良いフットパスがあります(図1)。

図1 フットパス

この写真の右側は広い麦畑になっていて、大学の建物(滞在中の宿舎)が見えます(図2)。

図2 フットパスから麦畑越しに宿舎を臨む

こんな感じの道が、どこまでもどこまでも続いているのです。散歩するのに非常に気持ちが良い道です。ときどきリスやウサギもいます。

他の土地でも気を付けているとフットパスを見つけることができます。イギリスは日本と違って山地が少なく、平野が豊富なのでこんな真似ができるのでしょう。うらやましい限りです。

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23. イギリスの「さつま」 (2006.08.05)

イギリスでは「satsuma」という名前の作物を売っています。これは日本ではたいへん良く食されているのもなのですが、何かわかりますか?「さつま」だから芋かと思えばさにあらず、答はこれです。

日本のものに比べて皮が心持ち固めの気がしますが、あとはほとんど同じです。味は、物によりますが、まずまずです。しかしなんで「さつま」なんでしょうね。薩摩から輸入したのでしょうかね。

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22. ピーピング・トムの像 (2006.07.24)

21. レディ・ゴダイバとピーピング・トム」で「ピーピング・トムの銅像など有るわけない」と書きましたが、その後コベントリーの中心街に行ったとき、ピーピング・トムの像を見つけました(^^;。いや、もちろん(顕彰する意味での)銅像は確かにあるわけ無いのですが、単なる像ならば、あるのです(図1)。

図1 ピーピング・トムの像

ピーピング・トム・ニュースの通りを少し先へ行ったところです。なんのつもりでしょうか?しかし面白いので良しとしましょう。(^^

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21. レディ・ゴダイバとピーピング・トム (2006.07.02)

今仕事でイギリスのコベントリー (Coventry) に滞在しているのですが、コベントリーという町は、こちらに来るまで気がつかなかったのですが、レディ・ゴダイバ (Lady Godiva) の逸話の町なんですね。御存じない方の為に簡単に書いておきます。

[Lady Godiva]《英伝説》ゴダイヴァ 11世紀イングランドの Coventry の領主の妻;裸で白馬に乗って町を通るならば住民に課した重税をやめると夫に約束され、それを実行したという。(研究社「リーダーズ英和辞典」より)

有名なチョコレート会社GODIVAの名はこれに由来しています(こちらはベルギーの会社なので、「ゴディバ」と呼びます)。ゴダイバはコベントリーの有名人ですから町の中心に彼女の銅像があります(図1)。

図1 レディ・ゴダイバ像

この逸話には続きが有り、主人公のゴダイバより、ある意味ではさらに有名な人物 Peeping Tom が出てきます。

ゴダイバが裸で町を通ったとき、住民は、自分達の為にこんな恥ずかしいことをしてくれた領主夫人に感謝し、皆で窓を閉めて見ないようにしました。しかし、その中でただ一人覗いていた不埒者が、トムです。

そして彼は、のぞき魔の別名 Peeping Tom として名前を残すことになります(どうもこの話は後世の作り話らしいのですが)。

で、町の方に話を戻しますと、ゴダイバの銅像の脇の方に「Lady Godiva News」という店がありました(図2)。キオスク兼土産物屋のような店でした。

図2 Lady Godiva News

なるほどなるほどと思ってそのLady Godiva Newsの後ろの建物の裏側になんとは無しに歩いていくと、なんとそこに「Peeping Tom News」という店もありました(図3)(^^; 。

図3 Peeping Tom News

建物の裏側でゴダイバの銅像が見えない所に建っているところなぞ、なかなかシャレが効いてますね。売っている物はマトモでした。(^^

えっ?ピーピング・トムの銅像は無いかって?・・・あるわけ無いでしょ!(^^;(^^;

(この項、続きが「22. ピーピング・トムの像」にあります。)

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